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日本陸軍機の命名規則
旧日本陸軍で使用された軍用機の命名規則について、詳述。
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試作名称
・1933年(昭和8年)に制定された陸軍機の試作名称で、機種やメーカーの区別なく統一した
キ番号の通し記号を使用した。キは機体(キタイ)を意味する。
・キ番号は、陸軍の機体計画順に割り当てられ、最初の適用:キ1 「九三式重爆撃機」以後、
130に達し、これ以降は、140・160・170台が若干使用された。
・また、陸軍の要求・協力により開発されたものの、純粋な軍用機ではない研究機・実験機にも、
キ番号が充当されていた。 例:キ77 「A-26」、キ78 「研三」など。
・大戦末期に、ロケット機、ジェット機が登場すると、200番以降の番号が割り振られた。
例:キ200「秋水」、キ201「火龍」
※キ番号は原則として、機体が制式となるまでの試作名称であったが、
制式採用前や制式名称が付される前に実戦部隊に配備される機体も多く、
例:キ44、キ61、キ102など
また使い勝手の良さから、制式採用後も将兵の間では、制式名称や愛称と共に、キ番号で呼称される事も多かった。
例:「ハチヨン」・キ84 四式戦闘機「疾風」、「ロクナナ」・キ67 四式重爆撃機「飛龍」
その他、
・グライダーは当初キ番号に含まれていたが(キ23〜26)のちに独立し、
「ク○○」(ク番号。グライダー/カックウキ、グライダー/滑空機)が作られた。
例:ク8-II
・陸軍技術本部主導で開発されたオートジャイロには、「オ○○」(オートジャイロ)を付した。
例:オ1
※他の航空機材についても、下記の名称が充てられた。
| 航空エンジン: |
「ハ○○」 |
例:ハ112-II |
ハ番号・・ハツドウキ、発動機 |
| 航空機関砲: |
「ホ○○」 |
例:ホ103 |
キカンホウ、機関砲 |
| 航空機関銃: |
「テ○○」 |
例:テ4 |
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| プロペラ: |
「ペ○○」 |
例:ペ32 |
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| 航空無線機: |
「ム○○」 |
例:ム4 |
ムセンキ、無線機 |
| ジェットエンジン: |
「ネ○○」 |
例:ネ130 |
ネンショウフンシャスイシンキ、燃焼噴射推進器 |
ただし、上記に挙げた例に付いては、制式名称が別に付いている。
例:ハ112-II:三式一五〇〇馬力発動機、ホ103:一式十二・七粍固定機関砲、ム4:四式飛三号無線機
制式名称 ・・試作機が制式採用(仮制式採用)された際の名称
・陸軍の場合、この方式は海軍より2年早く、1927年(皇紀2587年)の「八七式重爆撃機」から、
1945年(皇紀2605年)の「キ100 五式戦闘機」まで用いられた。
・1940年(皇紀2600年)制式の機体は、「一〇〇式(ひゃくしき)」と称した。
例:キ57 一〇〇式輸送機、キ49 一〇〇式重爆撃機「呑龍」
※1927年以前の命名法は、あまり系統立ったものではないが、
最初期は、「メーカー名の頭文字」+式+「型」+機種名であった。
例:モ式二型偵察機、モ式四型偵察機
後に、メーカー名は、「甲・乙・丙・丁・戊」などと記号化される事になり、順次改称した。
| ニューポール機: |
「甲式」 |
例:甲式三型戦闘機、甲式四型戦闘機 |
| サルムソン機: |
「乙式」 |
乙式一型偵察機 |
| スパッド機: |
「丙式」 |
丙式一型戦闘機 |
・尚、最初期の命名法は、1927年以降も存続し、イタリアから輸入した「イ式重爆撃機」、
ロッキード製の「ロ式輸送機」などの例がある。
改修型名称
| ● エンジンの換装など大きな改修: |
「機種名」の後ろに「型」を付す。 |
| 例:キ46-IV 一〇〇式司令部偵察機四型、キ15-II 九七式司令部偵察機二型 |
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| ●武装の換装や派生と言った小改修: |
「型」or「機種名」の後に「甲・乙・丙・丁」などを付す。 |
| 例:キ21-II甲 九七式重爆撃機二型甲、キ27乙 九七式戦闘機乙 |
・制式名称の「型」は基本的に漢数字を用いるが、試作名称(キ番号)ではハイフンとローマ数字が使われる。
例:キ43-III甲 一式戦闘機三型甲、キ44-II丙 二式単座戦闘機二型丙、キ84-I甲 四式戦闘機一型甲
しかし、制式名称の「三型/二型/一型」などが、「III型/II型/I型」と表記される事も多い。
なお、このローマ数字表記は、グライダー、エンジン、機関砲などでも名称表記に使用されている。
例:ク7-I、ハ26-II、ホ155-II
・また、小改修の規模が比較的大きい場合は、「改」を用いる事もある。
例1:「キ61-II改 三式戦闘機二型」
三式戦一型丁(キ61-I丁)の大改修型(エンジンの換装と主翼・垂直尾翼の増積)である試作機「キ61-II」に、更に小改修を加えた「キ61-II改」を、「三式戦闘機二型」として制式採用したものである。
例2:「キ45改 二式複座戦闘機」
元の「キ45」が失敗作に終わったため、同社(川崎航空機)の「キ48 九九式双発軽爆撃機」の設計を流用し開発されたものである。そのため試作名称の「改」と制作名称は必ずしも一致しない。
・さらに、同年に複数の同機種が制式採用になった場合、
古くは「機種名」の前に「型」を付し、
例:キ9 九五式一型練習機、キ6 九五式二型練習機、キ17 九五式三型練習機
後には、機種名を一部変更し対応した。
例:キ44 二式単座戦闘機・キ45改 二式複座戦闘機、キ56 一式貨物輸送機・キ59 一式輸送機
愛称
太平洋戦争(大東亜戦争)期、陸軍(陸軍航空本部)は、主に国民への宣伝・広報のために、
一部の新鋭機に、各々個別の愛称を付した。
これら愛称は、新聞・雑誌・映画・ニュース映画・ラジオ放送・ブロマイド・絵葉書・絵本など、
様々な媒体で盛んに使用された。
例として、、
・1942年3月8日付各新聞では『新鋭陸鷲、隼、現る』といった見出しや機体写真とともに(一式戦に対し)「隼」の愛称が航本より表表され、朝日新聞1942年7月23日付では同年5月22日に戦死した飛行第64戦隊長加藤建夫の記事と合わせて『仰ぐ軍神・加藤建夫少将』:『前線の加藤少将と新鋭戦闘機「隼」』、写真週報1942年9月16日号では『敵空軍恐怖の的
隼』などとキ43 一式戦闘機「隼」を報じる写真付きの記事が掲載された。
・また、写真週報1943年9月29日号5・6項では『世界に誇る 陸軍三新鋭機 「呑龍」「鐘馗」「新司令部偵察機」』と題し、各機の写真・説明および航本部員の少佐のコラムを添えてキ44
二式単座戦闘機「鍾馗」・キ49 一〇〇式重爆撃機「呑龍」・キ46 一〇〇式司令部偵察機「新司偵」を特集している。
主な愛称
・キ43 一式戦闘機 - 「隼」 ・・栄えある愛称第一号である。
★詳細:「一式戦闘機#愛称」
戦前中の日本では、主に軍内部やマスメディア上において、陸軍航空部隊自体や各飛行部隊、
航空機から空中勤務者などの比喩表現として、「鷲(荒鷲・陸鷲)」「鷹」「隼」「翡翠」と言った鳥類の呼び名が盛んに用いられており、それに呼応するように一般国民に対する宣伝のため、
陸軍航空本部発表の正式な愛称として、一式戦は「隼」と命名され(発案者は航本報道官西原勝少佐)、1942年3月8日には、「新鋭陸鷲、隼、現わる」の見出しで各新聞紙上を賑わした。
太平洋戦争中には、戦況を報じる新聞・ラジオ放送・ニュース映画・雑誌・戦時歌謡などと言った
各種メディアのみならず、
軍神と謳われた加藤建夫少将と加藤隼戦闘隊(飛行第64戦隊)に代表される活躍や、
1942年(昭和17年)10月公開の映画『翼の凱歌』、
1943年(昭和18年)公開の記録映画『陸軍航空戦記 ビルマ篇』、
1944年(昭和19年)3月公開の映画『加藤隼戦闘隊』、
などと言った実機の一式戦が出演する映画作品を通じ、一式戦「隼」は、太平洋戦争中最も有名な日本軍の戦闘機として、日本国民に広く親しまれる事となった。
・キ44 二式単座戦闘機 - 「鍾馗」
最初の配備部隊に、鍾馗の祠があったことに因む。
・キ46 一〇〇式司令部偵察機 - 「新司偵」
日中戦争(支那事変)で活躍した航空兵団の全日本号部隊(後の独立飛行第18中隊:虎部隊)の「司偵(全日本号)」として、国民に広く知られていた キ15
九七式司令部偵察機に次ぐ新鋭司令部偵察機の略称に因む。
・キ49 一〇〇式重爆撃機 - 「呑龍」
一〇〇式重爆を生産していた中島飛行機太田工場の所在地であった群馬県太田市に所在する
寺院「大光院」の通称「呑龍(呑竜)」に因む。
・キ45改 二式複座戦闘機 - 「屠龍」
本土防空戦にて、B-29爆撃機の撃墜破に活躍した飛行第4戦隊を筆頭とする二式複戦装備の飛行部隊の活躍を報じる新聞記事で使われ始めた。
B-29を龍に喩え、その龍を屠るもの(屠龍 = ドラゴンスレイヤー / Dragon Slayer ・・ドラゴンキラー)の意味。
・キ61 三式戦闘機 - 「飛燕」
アスペクト比の大きい主翼と液冷エンジンゆえのスマートなシルエットに因む。
1945年1月以降、飛行第244戦隊を筆頭とする三式戦装備の本土防空飛行部隊の活躍を報じる新聞記事で使われ始めた。また、大戦末期には、5銭切手の図案にも選ばれている。
・キ84 四式戦闘機 - 「疾風」
愛称自体は、国民(産業戦士)公募を経て、陸軍省が採用したものであり、
大阪毎日新聞による「疾風のごとく敵に襲いかかるわが戦闘機の雄姿を讃ふに相応しい名前である」と言った賛辞と共に、1945年4月11日に各新聞において写真付きで発表された。
また、愛称ではないが、「大東亜決戦機」と言う通称もあり、総力体制で生産が行なわれた。
キ84への期待の大きさが伺い知れる。
★詳細:「四式戦闘機#愛称」
四式戦は、1944年(昭和19年)10月、「陸軍新鋭戦闘機」として、所沢飛行場において、
各報道関係者に初公開された。

★四式戦初公開時の写真 一型甲(キ84-I甲)
この際に撮影された機体は、最初期量産型の
第491号機で、無塗装銀地に部隊マークとして
垂直尾翼に「赤色の3本ストライプ」、方向舵下
端を「黄色の中隊色」で塗り分け、機体番号下
二桁の「91」を描いた、飛行第73戦隊所属の実
戦機であった。
愛称は、「隼(一式戦)」・「鍾馗(二式単戦)」・「飛燕(三式戦)」・「屠龍(二式複戦)」と言った
各新鋭戦闘機に次ぐものとして、日本全国から募集された。
中でも多くの票数を占めかつ陸軍省の選定を受けた結果、「疾風」(はやて)に決定し、
1945年(昭和20年)4月11日付の各新聞にて、「殊勲を樹てている陸軍最新鋭戦闘機」「疾風のごとく敵に襲いかかるわが戦闘機の雄姿を讃ふにふさわしい名前」と言う賛辞が交えられつつ、
実戦部隊所属機の写真付きで発表されている。
四式戦「疾風」は、「帝国陸軍の新鋭戦闘機」として国民に知られた存在であり、
一式戦「隼」の宣伝に代表される広報に対する陸軍航空部隊の理解により、「疾風」もまた、
新聞やラジオ放送などでも登場する事となる。
例として、、
1945年7月1日公開の日本ニュース第254号では、『陸の猛鷲「疾風」戦闘機隊 神州犯す醜翼に挑む我等が決戦機隊』と題し、軍歌『疾風戦闘機隊の歌』をBGMに、機体番号を派手なフォントで
大きく垂直尾翼に描いた明野教導飛行師団教導飛行隊所属の四式戦数十機の映像(地上駐機時や操縦席、4機編隊からなる小隊離陸や低空飛行シーン)が使用されている。
なお、この日本ニュース第254号『征空部隊』号は、海軍の雷電と前後でセットになっており、
また大戦最末期の公開のため、第二次大戦最後の日本ニュースとなっている。
・キ67 四式重爆撃機 - 「飛龍」
四式戦「疾風」と共に、「大東亜決戦機」と通称され生産された。
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びっくり! |
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オドロキ!^^ |
愛称に付いて、、
いくら国民への宣伝・広報のためとは言え、最高機密兵器である新鋭機を、愛称を付して一般に公開した事にオドロキを隠せません。
その真意は? ・・いずれ総力戦になると見越していた? 結果として、そうなりましたが。。
今後。。
資料として充実させていきたいと思っています。
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